最近、正敬寺のある場所である太田という地区の事をふっと思う事がある。何故かといえば、一昔と比べたら非常に便利になったからである。
「太田という地域」
そもそも、太田という地域は、八尾市の一番南の端にあり、平成の時代の初めまでは、公共交通機関と言えば乗合バスだけであった。
「太田という地域の北側には八尾飛行場、南側は藤井寺市だが・・」
しかも、太田という地域は、近鉄の八尾駅まで約4キロメートル、JR八尾駅まで約3キロメートルだが、太田地区の北側には隣接して八尾飛行場があり、飛行場を横切ることが危ないという事で、飛行場の滑走路の下にトンネルがありそこを通って行かなければならなかった。これが、結構ぶきみでどちらかといえば避けたかった。でも仕方なくみんなそこを利用したものである。
また、太田地区の南側は藤井寺市と隣接していて、近鉄藤井寺駅までは約2キロメートルほどだが、太田地区の南側には大和川があり、そこを渡るのに大正橋を通らなければならない。近鉄藤井寺駅まで歩いても30分程度あるが、いやでも大和川を越さなければならない。
「柏原市にも隣接しているが・・・・」
太田地区の東側は柏原市と隣接しているのだがバスなどの公共交通機関がない。柏原市行くには歩くか自転車という事になるのだが、一昔前までは道の両側が田んぼ以外何もなく、夜にもなればやはり歩きにくいものであった。
太田地区の西側も東側同様で田んぼだけで、30分ほど歩いてやっと大阪市平野区につくが、ここはこれといった鉄道がなく非常に不便であった。
「自分の都合にあわせて、JR八尾駅や近鉄八尾駅、近鉄藤井寺駅を利用したが・・」
だから、太田地区の多くの人がその時の自分の都合に合わせてJR八尾駅、若しくは近鉄八尾駅に行くか、近鉄藤井寺駅を利用して用事を済ませていたものである。
私名場合、夜、遅くなりお寺まで帰るのに、近鉄藤井寺駅を利用したものだが、夜の最終バスが午後9時半過ぎであったため近鉄阿倍野駅を、午後9時前の電車に乗らなければ最終バスに間に合わず、それに遅れると藤井寺駅から歩いてお寺まで帰ったものである。
その当時と今を比べてみると、雲泥の差で便利になった。太田地区の近くに地下鉄谷町線の八尾南駅ができ、藤井寺駅から歩くにしても街灯がずいぶん整備され比較的安心して歩ける。
「10年ひと昔と言うが・・・」
時代の変化に伴い、町並みも変化した。今まで出会ったら日常食品などの買い物は近鉄藤井寺駅周辺にあるスパーマーケットまで買い物に行ったものであるが、最近は、近くに大型のスパーマーケットができほとんどの買い物はそこで済ますことができるようになった。そして、田んぼだったところが住宅に代わり、近辺の様子もずいぶん変わり便利になった。10年ひと昔という言葉があるが、まさしくそう思う。と同時にお寺の在り方も時代にあわせてお寺に訪れる人と共に代わっていかなければならないと思う。