檀家参りの日に家のカギをかけている家がなかった
昭和50年代初めまで正敬寺の周辺では、檀家参りに行っても鍵のかっている家は一軒もなかった。だから、玄関を開けて「おはようございます。参らせていただきます」と言い、仏間へ行きお勤めをしたものである。
用事のあるときはお寺に家の鍵を預けていた時代もあった
お参りの日を留守にする日は、事前に「檀家参りをしてほしい」と言って鍵を預けに来られたものである。現在では考えられないことが日常的に行われていた。時代が平成に進むにつれ檀家参りの日であっても鍵をかけられている家が徐々に増えて行き、令和の現在では鍵が開いている家などない。
お寺で参っておいてください
そして、何らかの用事で檀家参りの日に留守にするときはお寺で参ってほしいという電話が入るようになってきている。
お参りの日は、檀家からお寺に参って来る日が来るかもしれない
時代と共に檀家参りの形も徐々に変わってきているが、いずれ檀家さんの方から檀家参りの日にお寺に参って来るような形になるかも知れない。
社会全体が 疑心暗鬼に 閉鎖的になっているということなのでしょうね。
ふところを割った関係がなくなることと 近年の自死者や孤立化 孤独死の増加って 根底でつながっているのかもしれませんよね。
浄土真宗のお寺 友・同朋の意識って そんな傾向に一石を投じられるのではないかともおもいますが・・・。