初盆

身の回りの家族を亡くし、初めてのお盆を迎える方も多いでしょう。特に親族を亡くされた方はより一層その思いが強いことだと思います。
そこで、遺影やお骨、位牌などに手を合わせられる方もおられるかもしれません。しかし、浄土真宗では仏壇に手を合わすのが通常です。

仏教の教えでは・・・・

仏教では「生死(しょうじ)無常」と説かれています。これは、この世のあらゆるものは生滅変化し永久のものではないという意味合いになります。  私たちは、自身の願いや年齢に関係なく「寿命」がくればこの世と別れなければなりません。これは、誰もめるもが同じ道をたどることになるのです。

浄土真宗では・・・・

では、浄土真宗の門徒はこのことを受け止めてゆけばいいのでしょうか。  浄土真宗の教えを示した「浄土真宗の教章(私たちの生きる道)」の中に「念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき阿弥陀さまの浄土に生まれ仏となり、迷いの世界に還(かえ)って人々を教化する」と示されているように、亡くなった方はすでに阿弥陀如来さまと同じ悟りを得て、仏様(還相の菩薩)となり、再びこの世に来て、有縁の人を悟りに導くと説かれています。その働きとして私たちが感じることができるのは「南無阿弥陀仏」のお念仏という事になります。

親鸞聖人の教えでは・・・・

「南無阿弥陀仏」のお念仏について親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、悩み苦しみ生きていく私たちに「必ず救う、我にまかせよ」という阿弥陀さまからの呼び声であると教えててくださいました。すなわち、阿弥陀さまのお姿そのものなのです。
この阿弥陀さまのお姿に、お浄土で仏となり阿弥陀さまと同じはたらきをしている亡くなった方を想うと、「お念仏は亡くなった方からの呼び声である」「仏と成った亡くなった方私たちに向かってはたらいている姿そのものである」とも感がることができるのです。そう想いながら、阿弥陀如来さまに手を合わし、声を出してお念仏申すとき、今までと違った何かを感じるのではないでしょうか。

大切な方を亡くして

大切な方が亡くしすぐにこのようなことを感じるのは難しいかと思われます。ですが、お盆や法事などの仏事などを大切な仏縁として手を合わせてゆく中で、少しずつではありますが、感じ取ってゆければいいのではないでしょうか。
大切な方を亡くし深い悲しみに包まれているときでも、大切な方が消えてしまったわけではありません。想う出として愛情が深ければ深いほど、それぞれの方の心の中に生き続けておられます。そして、亡くなった方は、お浄土に往き私たちに常に働きかけてくださっているのです。やがては、私たちも同じ道を辿ることになります。
私達はお念仏とともに、つまり阿弥陀様とともにお浄土へと向けた人生を歩ませて頂けるのです。