浄土真宗では、死ぬとお浄土という世界に往くと言われます。
では、それはどの様な世界で、そこへ往くゆくとどうなるのでしょうか。

死後の行き先

先日、お母さんを亡くした中学生のお子さんに
「死んだらどこへ行くのですか」という質問を受けました。
こういったことは、葬儀の後や通夜の席でしばしば尋ねられます。

一体人は、死ぬとどこに行くのでしょう。

天国でしょうか。

確かにイメージでは、天国に行くという気がするかもしれません。
誰か有名な方が亡くなると、テレビなどで「天国に行かれて、いまごろ○○のようなことをしているでしょう」というというようなコメントをよく聞きます。

ですが、仏教においては天国に行くという言い方はしません。
仏教にも「天界」はあるのですが、これも迷いの世界なのです。
(→ 六道輪廻

浄土真宗ではお浄土に往くという教えです。

浄土真宗では帰依するご本尊は、阿弥陀如来です。「あみだ様」とか、「あみださん」とか幼児言葉で「まんまんちゃん」とか呼ばれる仏様です。また、テレビや漫画で死者に対して「南無阿弥陀仏」と言うシーンがあったりしますね。これは阿弥陀様のお名前を呼ぶ言葉です。

すこし話がそれましたが、浄土真宗では阿弥陀様のお浄土に往くゆくという教えです。

つまり浄土真宗では、阿弥陀如来という仏さまに帰依きえ(信じてよりどころとすること)していますので、その はたらき によって阿弥陀様のおられる世界(お浄土)へ往くことになるのです。よく「極楽浄土」という言葉を耳にするかと思いますが、その極楽浄土です。

一切の苦しみから離れた、楽しみで満たされた世界ですので、「極楽」と言われます。

どのようにすればお浄土に往けるの?

では、どのようにすれば極楽浄土に往けるのでしょう。
それは、阿弥陀様にただお任せすればいいのです。

何か特別なことをする必要はありません。
むしろ、何も出来ません。煩悩にまみれた私たち人間(凡夫ぼんぶ)では、 浄土に往くのに役に立つことは何一つありません。そんな人間(凡夫ぼんぶ)こそを救おうとされてるのが、阿弥陀様なのです。

お浄土とはどのようなところ?

お浄土の性質を表す言葉として、

浄土真宗ではお馴染みの正信偈の中にこのような一節があります。

「如衆水入海一味」
「衆水海に入りて一味なるがごとし」

内容
どんな川の水でも、海に入れば同じ一つの味になる。
そのように、本願の海に入れば、みな等しく救われる。
(『正信偈』)

海は全ても物を受け入れる性質があります。
お浄土も同じようなところです。

なぜ、「海」のようなところかと言えば、
「海」は海に流れていたものをすべて受け入れます。
きれいなものや汚いものを区別することなくすべてを受け入れます。

つまり、煩悩にまみれた私達人間も、すべて受け入れる存在。
イメージとしては、すべてが一つに溶け合うような世界。
それがお浄土ということです。

お浄土での楽しみとは?

ところで、亡くなった人がお浄土に往くと、なにをするのでしょうか。

亡くなった方は、お浄土で阿弥陀様と同じ悟りをひらかせて頂き、 菩薩様の姿となり、阿弥陀様とともに縁のあった方々を仏縁に遇わせ救うという活動をします。 それは、菩薩様方にとっての遊行、喜びなのです。

具体的には、この世の生きている我々の為に活動をされているということなのです。
それが、お浄土に往った後の楽しみなのです。

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