浄土真宗では、亡くなった人は、お浄土へき、そして現世にかえってきて、縁のあった人を導くと言われています。

このことについては、以前、『人間死んだらどこへいくのか?』で書きましたので、ここではもう少しだけ掘り下げてみようと思います。

阿弥陀様 はたらき について

浄土真宗とは、阿弥陀様の力の はたらき(専門用語で本願力回向ほんがんりきえこう) を説いた宗教です。その「はたらき」を、「お浄土へ往く」「お浄土から現世へ還る」という2つの側面から表すことが出来ます。

親鸞聖人の著書である、『顕浄土真実教行証文類けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい』は、冒頭、このような言葉で始まります。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向えこうあり。一つには往相、二つには還相なり。

ここで、2種類の回向(はたらき)という言葉が出てきます。往相回向おうそうえこう還相回向げんそうえこうです。これが、「お浄土へく はたらき」と「お浄土から現世へかえる はたらき」です。

往相回向おうそうえこう):お浄土へ往く

往相とは、「往くありさま」のことです。回向とは、「功徳をふりむける」こと。つまり、往相回向とは、阿弥陀仏の力により、浄土へと往かせていただくありさまのことです。

お浄土とは一切の煩悩から離れ、苦しみの無い世界です。
そのお浄土へ往くとどうなるのでしょうか。

お浄土に連れていかれれば、その瞬間に阿弥陀様と同じ悟りを頂き、菩薩の姿になると言われています。なぜなら、昔から「水に入れば濡れる」と例えられるように、阿弥陀様の世界に入れば、その功徳くどく)に染まるからです。

これが仏様になった状態。つまり成仏です。一般に、死ぬことを「成仏する」と言うことがありますが、成仏は死ぬことではありません。仏様になることを言うのです。

阿弥陀様:いま、この場で、見守られてる

ここで、少しだけ話を脱線して、阿弥陀如来という仏様のお名前の由来を簡単に紹介したいと思います。阿弥陀様の性質は、そのお名前に現れているからです。

阿弥陀如来=「アミダ」+「如来にょらい」なのですが、

「アミダ」とは、インドの言葉で「アミターユス」と「アミターバ」という言葉から来ています。

アミターユスは、いつまでも続く無限の命(無量寿)
アミターバは、どこまでも届く無限の光(無量光)
如来は、仏様を表す言葉

つまり、阿弥陀様とは「無限の命」と「無限の光」で、「いつでも」「どこにでも」届いてくださる仏様と言うことなのです。

ということは、阿弥陀様という仏様は、死後になって急に現れる仏様ではなく、いま生きているこの場所、いま生きているこの私に、常に届いてくださっている仏様なのです。

阿弥陀様の はたらき が常に届いているということは、いつ死んでも、その力に包まれ、お浄土に生れさせていただけるということなのです。

このように、生前よりお浄土へ生れることが決まり、その仲間に入れて頂ていることを専門用語で「現生正定聚げんしょうしょうじょうじゅ」と言います。

これが、「教章きょうしょう」の解説で書きました。こちらにあたります。

阿弥陀様はどうやって死の瞬間に来てくださるのでしょうか。
それは、初めて死の瞬間に来てくださるわけではなく、 今この瞬間も含め、生前からいつも、私たちを照らし、見守ってくださっているからです。そして命が尽きたとき、そっと、すくいとってくださるのです。

つまり、阿弥陀様は、「いま」「ここに」いてくださる仏様なのです。私たちが悩んだとき、悲しいとき、落ち込んだとき、もう駄目だと思ったとき、後悔しているとき、絶望しているとき、その全てを受け入れてくださっているのです。辛いときにも寄り添い、悲しいときは一緒に悲しんでくださるのが阿弥陀様なのです。

お念仏と共に生きることは、阿弥陀様と共に生きることなのです。
阿弥陀様は、死後に「やっと」すくって くださるのではなく、「いま、この瞬間」からすでに、すくいの力で包んでくださっているのです。それがお念仏させていただく身となった人の歩む道なのです。

以上が往相回向おうそうえこうのおはたらきです。

還相回向げんそうえこう:お浄土から現世へかえ

成仏したその後は?

先ほどの、往相でお浄土へ往き、成仏した後は、何をするのでしょうか。それは「遊行ゆぎょう」と言う、いわば遊びの行なのです。

では何をして遊ぶ(楽しむ)のでしょうか。

それは、生前、縁のあった人を見守り、導く行なのす。正しく仏の道を歩めるように、様々な縁を作っていくのです。これは、菩薩様にとっては無上の喜びであるといいます。これをしてくださるのが、先に亡くなった方々なのです。この方々を還相菩薩げんそうぼさつと呼びます。

そして、少し細かい話ですが、還って来るという はたらき そのものは、阿弥陀様から回し向けられたはたらき、回向なのです。ですので、このことを、還相回向げんそうえこうと言います。

還相菩薩:還ってきた人そのもの
還相回向:還って来させた はたらき

ということです、

この還相とは「還来穢国げんそうえこくの相」を略したもので、穢れた国である現世に還ってくるという意味なのです。

どんな人をも自由に助けることの出来る身になり、それを喜びと感じられる世界。
それが悟りの世界なのです。

親鸞聖人は『浄土和讃』の中で

安楽浄土あんらく じょうどにいたるひと
五濁悪世ごじょくあくせにかへりては
釈迦牟尼仏しゃかむにぶつのごとくにて
利益衆生りやくしゅじょうはきはもなし

【内容】
極楽へお連れ頂き、阿弥陀様と同じ悟りを頂いた人は、
還相の菩薩として、この迷いの世界に帰って来て、
お釈迦様がそうなさったように、
人々に利益りやくを与えること、極まりがない

と詠まれています。

お浄土に往き さとり を得た人は、現世で苦悩の人生を歩む人々を見捨ててはおけないのでしょう。
この歌の最後、「利益衆生」とは、人々をお念仏の道、阿弥陀様のすくいに 引き入れることです。
「きはもない」とは、限りがないということ。この菩薩様のはたらきは、何かに制限されるものではなく、頑張るわけでもないのです。人々をすくうことが、楽しみとなるということなのです。

そうして、仏の道にであい、光に照らされた人生であって欲しい。
それが、阿弥陀様の願いであり、先に往った人々の願いなのです。

以上が還相回向の おはたらき です。

用語のまとめ

回向:功徳をふりむける

往相:お浄土へ往くありさま
往相回向:お浄土へと往かせる はたらき

還相:還って来るありさま
還相菩薩:お浄土に往った人が、菩薩として現世に還って来ること
還相回向:お浄土に往った人を、現世に還ってこさせる はたらき

ということになります。

参考文献

浄土真宗教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典 註釈版』第二版(本願寺出版社、一九八八年)
浄土真宗本願寺派総合研究所編『浄土真宗辞典』(本願寺出版社、二〇一三年)
黒田覚忍『聖典セミナー 三帖和讃Ⅰ 浄土和讃』(本願寺出版社、一九九七年)