各種仏事について
葬儀について
日頃お寺と縁のない方でも、親族や身近な者が亡くなると自然とお寺に縁ができるものです。しかし、いざ葬儀と言っても何をどのようにしていいのかわからない方が多くおられます。そこで、ここでは、葬儀に対してお寺がかかわる流れやその意味合いについて述べてみたいと思います。家族や身近な方が亡くなった場合、普段からお付き合いのある寺に連絡すると次のような順序でそのお寺が葬儀にかかわっていきます。
- 臨終勤行
- 棺に遺体を移す時の気をつけなければならない事について
- 法名について
- 通夜勤行
- 葬式
- 火屋勤行
- 収骨勤行
- 還骨勤行
以上がお寺が葬儀にかかわる部分ですが、
還骨勤行のあと初七日から満中陰(七七日)までの説明などをして終わります。
臨終勤行
臨終勤行は、お亡くなりになった際に読むお経のことで、一般的には「枕経」と呼ばれることが多いです。本来では、臨終、つまり命の終わるとき、間際に阿弥陀仏への報恩感謝の儀式として行われるものでした。ですが、多くは、お亡くなりになった後に、故人の代わりに僧侶と親族で行われます。また、臨終勤行は、仏壇の阿弥陀様に向かいお勤めします。
このことは、意外とわかっているようで、わからないものです。
私も「檀家の方から○○さんが亡くなったから、枕経(<正式には臨終勤行という>)をお願いします」という連絡を受けると、お参りに行きます。すると、仏壇のある部屋に遺体を安置していても、仏壇がしまっているご家庭も少なからずあります。
そこで「仏壇を開けてください」というと、「枕経だから枕元で経をあげるものだと思っていた」と答えが返ってきます。それは、お気持ちはとてもわかります。
故人が亡くなったという事実、それに伴ってやってくる悲しみ、そのような状況の中でどうしても遺体に目を奪われがちです。
ですが、本来的に臨終勤行とは、故人の人生の終わりに、長年、見守ってくださった阿弥陀様に対するお礼の勤行と言えるのです。ですので、向かうのは仏壇の阿弥陀様に対してなのです。
阿弥陀様は、亡くなったときにだけ現れる仏様ではありません。生前からずっと見守り続け、死んだときに、しっかりとお浄土へお連れくださる仏様なのです。その仏様への感謝なのです。
ですので、臨終勤行(枕経)は、仏壇を開き、仏壇の前で行われるのです。もし、仏壇がない場合は、遺体が安置されている部屋に六字名号(南無阿弥陀仏)の掛け軸を掛けるなどします。
棺に遺体を移すとき
これは、地方によって多少異なります。ですが、棺に六字名号(南無阿弥陀仏と書いた紙)を入れ、手に念珠( 数珠 )をかけるのがいいでしょう。
これは、昔、葬儀がご本尊のない外で(野辺)行われていたためです。
遺体には白衣を着せます。
また、遺体の横に杖を入れたり、6文銭(現在では100円程度の小銭)を入れたりする地方もあります。
これは、あの世に行った時、山の上のお寺を参る時、山道を登るのに杖があったらいいだろうと考えたようです。また、三途の川を渡るのに船に乗って渡ればいいと考え、その時の船に乗る代金が6文程度と考えられたからだそうです。
しかし、浄土真宗では、命の終わるとき、すぐに阿弥陀様の はたらき により、お浄土に往くという教えですから、杖やお金をなどはいれません。
法名
浄土真宗では「戒名」(かいみょう)とはいいません。「法名」といいます。
法名は死んでからもらうものだと思っている人が多くおられます。
亡くなった方の家に行き臨終勤行(一般的に枕経といわれている)を終えた後、「帰敬式(おかみそり)を受け、法名をいただいておられますか」と聞くと「今日、死んだのに法名があるわけないでしょ」という返事が返って来ることがあります。
そこで、俗名(親からもらった名前)・年齢(浄土真宗の場合、生まれた時1歳としてかぞえる)・亡くなった日などを聞き、お寺に帰って法名をつけ、葬式の時にご門主になりかわって"おかみそり"を行います。
本来、法名はご本山(西本願寺)で行われている帰敬式(一般的には「おかみそり」といわれている)を受け、ご門主からいただくものです。
法名は、仏門に入り、お釈迦様の弟子となったことを表す名前です。お釈迦様の「釋(釈)」という字を冠とし、「釋〇〇」と付けます。また、浄土真宗では、念仏者としての名乗りでもあります。つまり、「南無阿弥陀仏」をよりどころとして生き抜く人の名前です。
聞法によってお念仏の法に遇わせていただくということから法名というのです。
ですので本来は、浄土真宗の門徒として生きるということであり、生きている間につけるものです。
通夜勤行
葬儀の前日の夜に僧侶を中心に経を唱えることを「通夜勤行」といいます。朝・夕おつとめをするのが浄土真宗の門徒さんの本来の姿です。しかし、最近では個人個人の事情によりそれもままならないのが実情です。お通夜とは、故人の姿(遺体)が存在する最後の夜であり、故人にとって最後の夕方のおつとめということになります。従って、僧侶が経を唱える前に、「○○の経を唱えますからみなさんご一緒にどうぞ」と言われるのもそういう意味合いからです。この時、家族はもちろん、故人と係わり合いがあった人も一緒におつとめをする事が大切です。たとえ、経を唱えられなくても「南無阿弥陀仏」の部分だけでも一緒に声を出しておつとめをすることが大切な事なのです。
本来、通夜というのは、現在のように時間を決めてとりおこなうものではなく、次の日の朝が来るまで経の声を途絶えることなくおつとめするものなのです。
葬式
葬式は、故人にとって人生最後の儀式になります。葬式の時の勤行は、大きく分けて二つに分けて行われます。一つは出棺勤行、もう一つは葬場勤行です。元来、葬式は、各家庭で行われていました。故人が棺と共に我が家を出て火葬場に向かうにときに唱える勤行が出棺勤行です。そして、道中「南無阿弥陀仏」と称えて火葬場まで行ったのです。この念仏を路念仏と言います。そして、火葬場に着き、故人が日ごろから親交のあったお寺の住職、家族、知人らと共に最後の日常勤行を唱えるのが葬場勤行です。しかし、近年、葬式の形態も変わり、通夜勤行・出棺勤行・葬場勤行まで一括して近くのお寺や会館でとりおこなわれているのが現状です。形式が変わったからと言っても、勤行を通して「念仏の法に遭う」という事には変わりがありません。亡くなられた方の葬儀を通してお念仏の法に遭う機会に恵まれたという考え方をすれば、気持ちも少しは楽になるかもしれません。
葬式の中で最も大切な姿勢は故人に対して「あなたの死を無駄にしません」という事です。生前、故人が生きてきた姿を通して学ぶべき事を参考にさせていただき今、生きている自分の生き方を振り返ることの出来る機会のひとつになるでしょう。そして、仏教の教え(法)に出会える機会をいただくことにもなります。
法が説かれているのが経典であるから僧侶が経を唱えるのです。この法を亡くなった方を通していただき、自分の生き方をもう一度問い直していくことが亡くなった方の死を無駄にしないことにつながるのではないでしょうか。
火屋勤行
葬儀が終わり火葬場に行き、棺をかまに入れるとき唱える経を火屋勤行と言います。火屋勤行は棺をかまに入れる前に唱え、阿弥陀様が私たち一人ひとりを救うために誓われた誓いを味あわせていただきます。
収骨勤行
これは地域によってとりおこなわれている所とそうでない所があります。火葬場で遺骨を拾ったあと骨壷に納め、その壷を木の箱に入れ、さらに白いさらしなどで包み、火葬場内で指定の場所で机などの台を設け、その上に骨壷を置き勤行を行うことです。これは、現代ではとりおこなわれている地域が少なくなっています。この時お勤めされる経は、「讃佛偈」という「経」を中心に勤められます。
還骨勤行
火葬場から遺骨が故人の家に還ってくると、全く塗装のしていない経机のようなもの(これを中陰壇といいます)に遺骨を安置します。浄土真宗では中陰壇は仏壇の横に設置し、仏壇の前で勤行を行います。これを還骨勤行と言います。
これは、一般に「骨あげ」といわれています。何故、仏壇の前で経を唱えるかといえば、私たちの力ではどんなに努力してもよりよい世界、すなわちお浄土に行かせてあげる事は出来ないからです。浄土真宗の私たちが本当に頼りに出来るのは阿弥陀様をおいてほかにないからです。そして、勤行がおわると、僧侶によって、「御文章」(御文章とかお文さんと呼ばれている)を拝読されます。
以上で葬儀に関して僧侶がかかわる部分はおしまいですが、以後、中陰(地域によって「七日七日」と呼ばれている)ということで7日毎に僧侶が経をお勤め、故人の法事や月忌参り(月に1回の故人の自宅の仏壇でお勤めをすること)などでその家との関わりが出来てきます。
中陰法要
葬儀が終わったらどうしたらよいのか
家族などが亡くなり、葬儀も終わり、その後どうしたらよいのか「わからない」と言う人が結構いるものです。一昔前でしたら、地域の結びつきが比較的強くて誰か、教えてくれる人が必ずいたのですが、最近はそういう結びつきもかなり薄れてきたようです。私のお寺の周りでも、「最近越してきたので葬儀の後どのようにしていいのか、わからないので教えてほしい」と言われる方がたまにあります。
葬儀が終われば、中陰法要を行う事になりますが、ここではその事について述べたいと思います。
中陰とは、古代インドで言われ始めたことで、人が亡くなって、次の命を得るまでの期間の事を言います。これは、人が亡くなって、七日目が初七日、14日目が、ふた七日といい、人が亡くなって七日ごとに7回中陰勤行が行われます。ですから、よく言われる言い方で「35日」という言い方をされる方がありますが、これは五七日の事をいい、「49日」は、七七日のことで、この七七日の日をもって中陰が満了するという意味からこの日を満中陰といいます。このような日の数え方から中陰法要の事を七日七日と言われる地域もあります。中陰法要の間、つまり49日間は、遺骨など、中陰壇に安置します。その場合、花は赤色の花をさけ、白色や黄色の色花にするのがよいでしょう。
中陰の考え方は、一つの命が終わり、次の命を得るまでの期間ことで長くて7日×7日で49日と言われてきました。この期間、遺族は故人の冥福を念じ、経を唱えるなどの善をつみ、次の命の幸せを願うことだとされました。この考え方がわが国に伝わり現在でも故人が亡くなって7日毎に中陰勤行が行われています。
しかし、浄土真宗の教えは、「南無阿弥陀仏」と唱えている人であれば、「往生即成仏」といって、一つの命が終わったとき「お浄土」に往生し、仏にならしていただくという教えです。従って、家族や身の回りの方が亡くなった時だからこそ、日頃、生活におわれて、手を合わす機会の少ない方でも、身の回りの方が亡くなった事で手を合わす機会がふえ、念仏の大切さを改めて認識する期間でもあります。そして、中陰勤行を通して、み仏の教えを聴聞し、つつしみのある生活を送る期間として中陰は大切な行事ととらえています。
お墓について
建碑式
お墓を建てたとき(建碑式・建碑法要・建碑慶讃法要)に行う法要
お墓を建てたときに行う法要は・・・
お墓を建てたときに行う法要の事を「建碑式」とか「建碑法要」とか「建碑慶讃法要」と言います。
一般的に言われる「お性根いれ」とか「お魂入れ」という言葉は浄土真宗では使いません。
お墓の正面に刻む文字は・・・
石碑の正面に刻まれる文字は、浄土真宗では「南無阿弥陀仏」とか「倶会一処」とするのが通例です。「南無阿弥陀仏」と刻むのは、お墓をご法義相続の場であると捉えているからです。
また、「倶会一処」という文字を刻むのは、素晴らしいよき人々と共に「一処」に会うことが出来るという意味合いからです。この言葉は、『仏説阿弥陀経』というお経に出てくる言葉です。また、家名は、台石や花立てなどに刻むといいでしょう。
お供え物は・・・
法要を勤めるにあたっては、ローソク、線香、お花、菓子や果物などの供え物や焼香の準備をしなければなりません。
ローソクの色は赤いローソクを使うのが通例です。また、お花は色花使い、とげのある花などは避けるようにしています。
食べ物のお供えは、お赤飯、お餅、菓子、季節の果物、干しわかめなどを供えます。
焼香は・・・
浄土真宗では1回焼香です。1回焼香は、香を1回つまんで焼炉にいれ両手に念珠(数珠)をかけ、 合掌礼拝 をします。
その他法要
祥月法要
故人が亡くなられた月日が年に1回必ずやってきます。この日のことを 祥月命日 といいます。一般的に祥月命日の日の法要は月忌参りの場合と同じように行われています。
百か日法要
亡くなられた日から数えて百日目に行う法要です。この法要は、中陰法要(七日七日)と同じような規模で行われる地域が多いようです。なお、仏壇の中の 打敷 は白打敷を用い、花は赤などの華美なものは用いないようにするのがいいでしょう。
法事(年忌法要)
亡くなった方の法要を年忌仏事といわれています。亡くなられて49日目におこなう満中陰法要・百か日・1周忌・3回忌・7回忌・13回忌・17回忌・25回忌・33回忌・50回忌等の法要を法事といわれています。(宗派によってはその他に23回忌・27回忌も法事をされていますが、浄土真宗では行いません)
法事とは、故人を偲び、法を説くといわれますが、「法」というのは教えを意味します。ここでいう「法を説く」という意味合いは「教えをいただく」ということになります。法事の時に経典を読むお経は「浄土三部経(仏説無量壽経・仏説観無量壽経・仏説阿弥陀経の3つのお経をあわせて三部経という。」)でそれぞれのお経のはじめに仏説とありますが、これは、お釈迦様が阿弥陀様のお徳をとなえたものなのです。したがって、法事は亡くなった方を偲び、一人一人の生命の大切さをかみしめる大切な行事なのです。
平成18年年回(年忌)法要
年回法要 |
亡くなられた年 |
1周忌 |
平成17年 |
3回忌 |
平成16年 |
7回忌 |
平成12年 |
13回忌 |
平成6年 |
17回忌 |
平成2年 |
25回忌 |
昭和57年 |
33回忌 |
昭和49年 |
50回忌 |
昭和32年 |
月忌法要
月忌法は、一般的に月忌参りとか月参りと言われています。
雑学の中で「葬儀が終わったらどうしたらよいの」の中で述べたように中陰勤行、そして満中陰法要を行います。それらの法要が終われば、月忌法要という事になります。但し、これは地域事情やその地域の慣習などの理由で行われていない地域もあります。月忌法要とは、
命日(故人が亡くなった日のこと)にあわせ毎月お寺から僧侶がその家に伺ってお参りすることです。月忌法要の行われる日は、厳密に言えば前日の午後から、当日の日中という事になります。しかし、現実にはお寺から2日続けてお参りに行くのはお寺にとっても、家庭にとってもいろいろな諸事情からかなりの負担がかかり、どちらの日を選んでおつとめをするのが一般的です。また、地域事情やその家庭、お寺の事情から、毎月1回、それぞれが納得できる日を選んで行われている地域もあります。満中陰が終わった翌月から毎月、月忌法要が行われる地域が多いようです。
永代経法要
「
永代経」という言葉を耳にしますが、どんなお経ですかと聞かれることがあります。永代経という名前のお経はありません。
「永代経」とは、永代読経の略で、その意味は、永代にお経が読まれるという事になります。すなわち、お寺がある限り
永代(いつまでも)にお経が読まれるということになります。亡くなられた方を「縁」として、故人を
偲び、今、生きている私たちの人生のよりどころとするみ教えをいただく場としてのお寺を守り、そして、子や孫が代々にわたって仏法を聴聞する場としての法要ということになるでしょう。
そうした願いをもって、ある程度、無理のない範囲でお寺に納められるのが、
永代経懇志です。そして、その報恩
の志をうけてお寺が開く法要を「永代経法要」と言います。
>>
永代経の詳細はこちらをどうぞ。
入仏式
仏壇を買ったけど
仏壇を買ったあとどのようにすればいいのですかと尋ねられることがある。浄土真宗では、お仏壇を買い、ご本尊(阿弥陀如来)をお迎えする時、入仏法要(入物式)を行います。これは、阿弥陀如来さまに仏壇に入っていただくという意味から入仏式と言って入仏法要を行うものなのです。
入仏法要とは
仏壇を買うという事は、浄土真宗のご本尊である阿弥陀さまを仏壇に安置するという事です。すなわち、浄土真宗でいう「入仏法要」と言うのは、ご本尊をお迎えした慶び、そして阿弥陀さまのお徳をたたえるための法要なのです。
供えものは
従って、お供えも平素のものとは少し異なります。供えものは以下の通りにする場合が多いです。
花 |
一対 |
ローソク |
赤いローソク(一対) |
仏飯(ぶっぱん) |
赤飯 |
こ餅 |
紅白 |
|
らくがん、菓子(できれば穀類にちかいもの)、季節の果物など |
作法
仏壇に参る時、かねは何回打てばいいのですか?
「仏壇に参る時、カネを何回つけばいいのですか」と、よく聞かる事があります。通常、家庭にある仏壇のきんは、小きんと呼ばれているもので一般的には仏壇のカネと呼ばれています。きんには、お寺の本堂などにある大きん・各家庭の仏壇などにおいてある小きん・外で使う(火葬場や墓などで使う)引きんの3種類があります。これらはすべて桴(ばち <打棒>)で外側を打ちます。但し、小きんは内側を打ってもよい事になっています。
きんを打つ時は、読経する前に、最初に二声(・・2回打つこと)、中間に一声(・・1回打つ)、最後に三声(・・3回打つ・・・この場合、強く・弱く・強く打つ)打ちます。従って、きんを打つ意味は、経を読むという合図の意味合い(最初の二声)、次に経が変わりますよという合図の意味合い(中間に一声)、これで終わりですよという合図の意味合い(最後に三声)があります。また、経を唱える場合、この経はどの音(ハ長調のレとかミとかラなど)から唱えるか決まっています。だから、きんを打つ事で音をとって経を唱えるのです。
仏壇の前に座って、手を合わせる場合、きんを打たなければならないということはありません。大切なのは、心を込めて手をあわす事ではないでしょうか。
仏壇のまつり方
まず、打敷を必ず敷いてください。打敷の色は、正式には、葬儀から3回忌ぐらいまでは銀襴、または白い打敷を用い、7回忌以降は、赤などの華麗なものを用いても結構です。仏壇に供える花についても、3回忌までは赤などの華麗な色は避けます。7回忌以降は、花も、打敷と同様、花も赤をまじえるようにすればいいでしょう。ローソクも同様、朱色を用います。
また、ローソク立てや花立ての配置については、普段は、仏壇に向かって右からローソク・土香炉(どごうろ)花立てですが、法事の時は、仏壇に向かって右から花立て、ローソク、土香炉、ローソク、花立てにして行うのが正式です。つまり、外側二つが花立て、内側二つがローソクたて、中央に土香炉になります。
配置)
花 ローソク 土香炉 ローソク 花
供え物について
法事を行うには・・・
仏壇のまつり方・供え物など
最近、檀家参りに行くと「○○に法事を行いますよね。どのようにすればいいのですか・・・、お供え物は・・・、仏壇のまつり方は・・・」など法事について聞かれることが多くなってきました。
法事にかかる時間は
法事と言ってもいろいろあります。亡くなられて百日目に行う、百ヵ日法要の場合は、始まってから終わるまで30分程度、満中陰法要・1周期法要・3回忌法要・7回忌法要・13回忌法要・25回忌法要・33回忌法要・50回忌法要は1時間半程度かかります。
焼香の仕方について
できそうでできないのが焼香です。例えば、葬儀の時や法事のとき多くの人が焼香をしますが、どのようにすればよいのかよくわからないまま焼香をしているのが現状のようです。例えば、前の人が、香をとって額の前までもってくる動作を3回くりかえし、 合掌礼拝 をすると、次の人も同じようにしているのをよく見かけます。浄土真宗では焼香をするときは、焼香台の前に立つと、いち揖(かるく一礼をする<15度程度からだを前にたおす>)し、香を1回つまんで焼炉にいれ、 合掌礼拝 をします。すなわち、浄土真宗では、焼香は1回なのです。
正座
檀家参りや法事のときに、私が経を称える前にお参りされている方に「足を崩して楽な姿勢でお参りください」と言う。なぜそのような事を言うかと言えば、経を称え終わって、お参りの方と向き合うように座りなおして法話をしょうとすると、必ずと言っていいほど、足の痛みをこらえて正座されているとわかる方がおられるからです。
正座は、経を称える時の一つの作法です。
これは、僧侶と向き合う時に正座しなければならないと言う固定概念があるからだと思われます。正座とは、「正しい姿勢で座る」と意味合いがあり、浄土真宗では、経を称える時の一つの作法です。経を称えず聴聞される方は、別に正座する必要がありません。椅子に座って聴聞される方も多くおられます。事実、西本願寺にお参りの方の中で正座が無理と自分で判断された方が、椅子に座ってお参りされる方がおられます。
せっかくの法事が・・・
法事などでお坊さんが来て、経を称えている間でも、足が痛くて我慢できないのに経が終わった後の法話までは無理な場合があるからです。このような場合、せっかくの法事が、足が痛くて大変だという印象しか残らず何のための法事かわからなくなってしまう場合があるからです。
平常の経を称える時の姿勢
浄土真宗では平常の経を称える姿勢は、正座・起立・椅子に座って腰をかけた姿勢と決まっています。従って、僧侶と一緒に経を称えられる方は、正座または、正座用の椅子、あるいは普通の椅子に座って経を称えられます。聴聞される方は足を楽にして聴聞されます。
正座の姿勢 |
腰を正しくすえ、両膝をそろえて正しく座る。上体をまっすぐに保ち、眼は水平よりも少し低いところを見て、両手は念珠をもった左手を上にして組みひざの上に自然に置く。 |
起立の姿勢 |
両かかとをそろえてつけ、両足先は約30度に開いて立つ。上体をまっすぐに保ち、眼は水平よりも少し低いところを見て、両腕は自然に垂らす。 |
腰掛けた姿勢 |
十分深く腰をかけて、両足を少しうしろのほうに引き、つま先を閉じて座る。上体をまっすぐに保ち、眼は水平よりも低いところを見て、両手は正座の姿勢と同じように組む。 |
平常の姿勢のほか、経を称える時の姿勢
浄土真宗では、平常の姿勢のほかにお勤めをするときの姿勢は蹲踞、こき、楽座、半跏があります。
蹲踞 |
(そんこ)正座の姿勢から両かかとを上げて腰をその上にすえ、両ひざを閉じたまま上げて、上体をまっすぐ保った姿勢。 |
こ跪 |
(こき)正座の姿勢から左ひざを立て、上体をまっすぐに保って座った姿勢 注・・こ跪の「こ」の漢字は、蹲踞と同じあしへんに古月と書きますがパソコン上で見つからなかったのでかなにしました。 |
無量寿経作法など
楽座 |
(らくざ)胡坐と同じように足を組んで座った姿勢楽を奏するときの 奏楽員 (楽人)の座法であるため、この名がある。 |
半跏 |
(はんか)楽座の姿勢から、左足を右太ももの上にのせて座った姿勢。本山「宗祖降誕会」の無量寿会作法において行う座法。 |
参考文献:浄土真宗本願寺派 法式規範
お布施に関して
浄土真宗での「のし袋(金封)」の書き方
法事とお葬式の時、のし袋の書き方についてしばしば聞かれることがあります。
浄土真宗ではただ「お布施」と明記すればよいのです。
>> 浄土真宗での「のし袋(金封)」の書き方