朝のお参りをしたとき、

仏教ではお墓と納骨堂、どちらがいいですか?
納骨堂とお墓の違いはなんですか?

と尋ねられることがときどきあります。

確かに、どちらがいいのか分からなくなるかもしれませんが、
答えとしては、お墓も納骨堂も性質は同じなので、どちらでも構いません。

納骨堂で供養は出来るのか。

納骨堂を不安に思う場合、それで供養になるのか。
と思われる方もおられるようですが、何も気にすることではありません。

なぜなら、昔からのお墓であっても、納骨堂であっても、亡くなった方は、阿弥陀様のお浄土へ生れるということには変わりはないからです。

お金をかけた、手間暇をかけた、だから「いいところ」に往くとか、往かないとか、そういったこともありません。どんな人でも、どんな亡くなり方でも、条件を付けずに手を差し伸べてくださるのが、阿弥陀様です。

それぞれの違いについて

屋外でご先祖のお骨を安置するのが従来のお墓です。
それに対して、屋内でお骨を安置するのが納骨堂です。

少し前は、納骨堂は、お骨の一時保管場所として使用するということがありましたが、
最近では、お墓の代わりにずっと納めるというのが一般的です。

お墓の場合、お墓掃除やお花をお供えしますが、
納骨堂ではその必要がありません。
例えば、当寺院の納骨堂では何区画かに一つ仏壇があり、こにお花をお供えいたします。

ですから使用されている方はその必要がありません。
掃除も基本的には、管理寺院(正敬寺の場合)が行います。
ただ一区画ずつになっている関係で共同墓地のような性格があります。
各納骨堂で、掲載されている写真等をご参照してください。

お墓について

また、少し専門的な話をすれば、
お墓とは、亡くなった人の遺体や遺骨を納めるところですが、

浄土真宗においては、故人を偲び、
故人とともに阿弥陀様のお慈悲に包まれていることに感謝する縁となるものであります。

そのため、お墓の正面には「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」などと刻まれていることが多いのです。

南無阿弥陀仏とは、阿弥陀様に全てをお任せするという意味です。
倶会一処とは、ともに一つの場所で会うということです。

つまりは、お浄土という世界は、故人とまた会える場所と考えて頂ければ結構です。
この言葉は、『仏説阿弥陀経』というお経の中に出てきます。

納骨について

また、納骨という行為とは、故人の遺骨を墓や納骨堂に納めることです。

浄土真宗においては、故人を縁として仏法に出遇い、
故人の縁のあった者も阿弥陀様に等しくすくわれている(摂取されている)恩徳に報謝する思いで行われます。

そういった意味では、納骨堂は過度に豪華である必要は無く、
お骨を納めることができ、阿弥陀様に手を合わせ念仏することが出来ればいいのです。

ですが、やはり、お墓と同じで故人の生きた証を残すという意味で、少し豪華な物を選びたいという方もおられると思います。

ですので、絶対にこのような形式でなければいけないという決まりはありません。
また納骨堂にはロッカー形式多く一般的で、正敬寺でもこの形式をとっています。

以上のように、お墓と納骨堂は、その形式は違いますが、
性質的には同じものであると言えるでしょう。

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